陣野Tの日記

日々思うこと

 閉校まで1か月を切りましたが、塾講師として勤めあげようとしている33年間の思いを少しずつ書いてみようと思います。

 出身地福島で、教員採用試験をうけ2度目の不合格通知をもらって、ブラブラしているわけにもいかず、新聞の広告欄にあったのが、この会社の福島県郡山市の支店の教務の仕事。内定をもらい勤務地は2年ほど本社のある足利市で修行してきてくださいとの通知を頂いて、太田市出身の大学の後輩を道案内に一路足利へが最初でした。

 1986年11月10日に入社。翌年の3月から栄進ゼミナール足利北仲校で数学と社会の講師として勤務することになりました。ここで当時塾長だったのが、江面嘉彦先生。昨日、栄進がなくなることを報告したのですが、ここでも慰められました。江面先生は、板書がとてもきれいで、それをキチンと写して、あとで見返せば自分のつまずきはいっぺんで解消できるのではないかと思うぐらいそれはそれは素晴らしいものでした。(それが毎日でしたし、先生のノートも凄かった!)到底私にはマネの出来ないものでした。「先生の好きなようにやっていいよ。責任は俺がとるから。」親分肌の先生でした。本当の兄貴のような存在でいろいろな相談にも乗ってもらいました。もう一人忘れてはならないのが、江面先生のよき理解者でサポートしていた新井潔先生です。新井先生は、縁の下の力持ちでもっと早くに塾長先生となって活躍できたと思うのですが、新井先生の存在なくしてあの時代はなかったと思います。生徒さんの扱いが上手で、人を傷つけないようなニックネームをつけて、授業中も盛り上がっていました。誰からも慕われ、頼りになる先生でした。野球も上手で、打順で行くと私が3番で、新井先生が4番ということが多かったと思います。

 この2人の先生との出会いなくして、今の自分はなかったと振り返ってみて思います。田舎の母には先日帰省した時に、また、学校の先生になれなかったことをくどくどと言われましたが、2人の先生初め、嫁さんともこの会社で出会ったわけだし、母には申し訳ないが、この33年は私にとっての宝物です。(ただ終わり方が…ここだけが悔しいところでしょうか)