陣野Tの日記

日々思うこと

 報告が遅れましたが、今年もまた、公立高校受験者全員合格でした。皆さん本当におめでとうございました。本当に良かったですね。高橋先生、持田先生にもこの場を借りて感謝したいと思います。これで、7年連続と記録が伸びました。本当に今年の3年生諸君は最後までよく頑張り通したとおもいます。倍率の高い学校、チャレンジかなぁと思う学校にも果敢にチャレンジし勝ち取った栄冠。今後の3年間に幸多かれと思うばかりです。昨今の新型コロナの影響でなんか重~い空気が漂う中の快挙達成!発表の前夜は珍しく眠りが浅く1時間おきに時計を確認していたので、9日の夜は、ゆっくり寝させていただきました。

 今日は長くなりますが、3月11日に福島県出身の私が書かなければいけなことと言えば「2011年3月11日午後2時46分」の悪夢です。当日は、次男の高校入試発表日のため、会社を休ませて頂いていて、午前中に合格を確認して、その足でゲーム機を買いに行きましたが、数軒回ってもお目当てのゲーム機は買えず、最後に再度、トイザらスの寄ったら、ちょうど入荷したばかりのゲーム機に出くわし、あの時の次男坊の笑顔は今でも印象に残っています。それがお昼頃だったと思います。そして、合格の報告を福島の実家に電話で報告し、翌日帰省すると母に告げたのが午後1時過ぎ。その日は、当時大学生だった長男も足利に戻っていて、3人でくつろいでいた時に揺れました。長かったですね。強い揺れでしたね。あまりに揺れるので、台所の食器棚の戸を抑え、ガムテープで止めてから3人で外に逃げました。外の電線が音を立ててしなっていました。途轍もないことが起こったと確信しました。その時、次男坊が血相を変えて私に向って言いました。「父ちゃん、やべぇ。どうしよう!」悲壮感漂う表情で何事が起ったかと心配でした。長く、強い揺れが収まるや否や、次男坊は家の中にまっしぐら。彼が心配だったのは、午前中に手に入れたゲーム機を充電したままで外に出たため、テレビの下敷きになっているのではということだったのです。落ちた本やCDを片付けつつテレビをみると、津波の映像でした。衝撃的でしたね。その時、同時に起こっていた原発の事故については今回は触れませんが、「福島は何も悪いことをしていないのに」というのは、この後しばらく続いた母の口癖でした。

 くだらない話を長々とすみませんでした。