陣野Tの日記

日々思うこと

 カウントダウンは、日々進んでいます。(当たり前ですが)

 ここにきて、1日の過ぎることの早いこと。閉校日はまだまだ先だと思っていたら、授業日は遂に一桁になってきました。野球のマジックナンバーなら優勝へのカウントダウンですが、こちらは、終わりへの日々ですから心境は複雑です。

 そんな中、会社を通して行っていた財形貯蓄の解約に銀行へ今朝行ってきました。実は、3度目の正直です。1度目は、受付の行員さんに「今日はここで解約できません」と言われ、経理の方に連絡すると銀行に問合せしてくれて、対応した行員の間違いであったことが判明。今週月曜日に、その行員に当たらないように祈りながら、番号札を握りしめ待っていると、経理の方が御推奨の行員さんにあたり、思わずガッツポーズ。ところが、届出印が違うことを指摘され、またも出直し。3度の今日は、2度目の行員さんに当たり、トントン拍子にと思いきや、1時間半ほど待たされ、それ伝処理できず、明日、通帳を取りに行くことに。しかしながら、2度目、3度目に対応してくれた行員さんが、何度となく、待っている自分のところに来てくれて、状況を説明してくれたおかげで、「ムッ」とすることなく妻沼校にお昼近くに出勤しました。仕事とはいいながら、見事な、お客への対応恐れ入りました。

 

 今日は、お世話になっていながら、御挨拶が遅れていた、佐野日大中等教育学校の菊地先生と本庄東附属中学校の島田先生にお耳にかかれてやっと私立の中学校、高校の入試担当の先生方に御報告ができ、自分の中での一区切りがつきました。先生方本当に長い間お世話になりました。有難うございました。

 また、昨日は、大妻嵐山の半田先生、そして、妻沼校赴任時からの盟友茂木先生の訪問を受けました。閉校の報を聞きつけての来訪には感謝の言葉しかありません。

 さらに、土曜日の午後に来てくれた、今年の正月に成人式を迎えた妻沼東中の卒塾生4人組、そして昨晩の村田兄弟とお母さんの訪問。皆さん本当にありがとうございます。口々に「残念だ」「とっても良い塾だったのに」と、お世辞にしても嬉しくなる御言葉を頂き、3人で頑張ってきたこの15年と4か月を振り返りました。

 残すところ、授業という形で、塾生の皆さんに接することができるのも、あと10日。今は、25日の閉校イベントに何をどんなふうに皆さんにお返ししようかを考えています。そうでもしないと、溢れ出る感情を抑えられないのが現状です。

 最後まで、「笑い」を忘れることなく、自分らしく妻沼を去りたいと思っています。お願いだから、コロナよ、これ以上流行らないでくれ~ぇ!!

 このところ卒塾生の訪問が続いています。本当にうれしい限りです。

 昨夜は、今年、22歳になる4人組でした。妻沼東中の時から、仲良しの4人。このご時世なのに、ついつい話し込んで、気が付けば、午後11時を回ってました。25日の閉校イベントにも来てくれるそうですが、何とも名残惜しそうに家路についていきました。本当に涙がもうすぐそこまで出てきそうで、堪えるには、しゃべっているしかありませんでした。みんな有難う~~~~~ねぇ。妻沼での15年と4か月。私の人生においてもかけがえのない時間だと改めて思っています。

 今日も午後2時から授業前に、今年成人式を終えた軍団がやってくるみたいです。楽しみです。また、午前中に、来週にも予約が入りました。一人はお腹に赤ちゃんがいるようです。宝物がだんだん増えますが、同時に着実に閉校までのカウントダウンは進んでいます。寂しさを上回る、感動に今日も涙腺がやばそうです。

 つくづく私って幸せ者だなぁ。

 九州地方に続いて、岐阜県や長野県の川の氾濫心配ですね。しかし、今朝午前10時ぐらいからの雨凄かったですね。おまけに横殴りの風。ちょうど刀水橋の信号で止まっていたら、何か急に雨・風が強くなってきて、橋の途中からは視界の悪くなり、塾までの道のり本当に長く感じました。少し車の中で待機して雨がちょっと弱まったところで、降りたのですが、久しぶりに車を運転していて、恐怖を感じました。そのせいか、しばらく膝がガクガクしてました。6月6日の10分間50㎜の雨の時に勝るとも劣らないような天気でしたねぇ~。本当にビビりました。

 さて昨晩の授業終了後に、元塾生が訪ねてきてくれました。歳を聞けば、今年26歳とか。一人は中3当時の面影があり、すぐ名前が判ったのですが、もう一人が判らず申し訳ないことをしました。コロナのためにマスクをかけているので、自分の中での顔認証はかなりきつくなってます。名前を聞けば、当時の様子が思い出され、持田先生と4人で、11時近くまで話をしてました。宝物がまた増えました。持田先生と一致したのが、卒塾生の名簿を至急に作成しましょうということでした。(これから作成開始です)

 久しぶりの遅くの帰宅後に、嫁から「しばらくこうゆうこと増えるんじゃないの。良かったじゃん。」と言われ、メールを見たら、金曜日の夜の予約が入ってました。

 改めて、皆さん本当にお世話になりました。感謝しかありません。

 

 九州地方の雨、ハンパないですね。昨年10月の台風の時の雨の降り方、思い出しました。早く水が引いてくれると良いですね。また、熊谷でコロナ発生ですね。こちらも早く終息してほしいのですが…。

 蒸し暑い日が続き、そうでなくても、汗っかきの私にとっては、つらい季節です。出社して、まず、掃除用の半袖シャツと短パンに履き替えますが、約1時間半ほど掃除や除菌作業をすると、シャツの色が変わるほどの汗。この行程もあと少しかと思うと寂しいのですが、嫁は朝から洗濯物が多くなり不機嫌そのもの。簡単な昼食と一仕事して着替えてから、今日は時間があるので、ブログを書いてる次第です。

 25日に塾生の皆さんに渡そうとしている『粗品』の中身を現在思案中です。プレゼントといえば、良いものがもらえると思っている皆さんに「な~んだぁ」とがっかりされるかもしれませんが、あとで「陣野先生らしいね」とクスッと笑ってもらえるようなもの考えたいと思います。昨日も、高校3年生の元塾生が2人来てくれました。塾を卒業してからも、足を運んでくれる元塾生が多いことも妻沼校の宝です。25日にも顔を出してくれるそうなので、楽しみに待ってます。そんな方々にも『粗品』用意しておきますよ。

 25日の閉校日までは、毎日、ブログを書こうと思ったのですが、結局、10日間空いてしまいました。

 妻沼校に今年で16年お世話になる形ですが、これってこの会社に勤務している半分がこの地で教えていたのですね。今、過去の書類をシュレッターにかけているのですが、懐かしい名前が多く、いろいろな思い出が蘇ってくるので、仕事が一向に進まないので、困っています。

 先週末に、御父兄の皆様から、心温まるお手紙を頂いております。本当にありがたく思います。こうしてこの地で長くやってこれたのも、持田先生や茂木先生、高橋先生というパートナーがいたからだと思います。時には、私の我儘で急に予定を変更したりして、迷惑をかけっぱなしでしたが、15年とちょっとの間有難うございました。この会社に入って、自分周辺の人たちには恵まれていたなぁと思います。持田先生・高橋先生と過ごせる日々はあとわずかですが、よろしくお願いしたいと思います。

 25日(土)は、授業は行わず、午後2時から午後8時まで、現塾生の皆さん、卒塾生の皆さん、保護者の皆さんと「密」にならないよう、『妻沼校閉校の日』を過ごしたいと思います。できるだけ『笑顔』で最後の一日を過ごしたいので、コロナの感染が拡大しないこと、日々祈っております。

 閉校まで1か月を切りましたが、塾講師として勤めあげようとしている33年間の思いを少しずつ書いてみようと思います。

 出身地福島で、教員採用試験をうけ2度目の不合格通知をもらって、ブラブラしているわけにもいかず、新聞の広告欄にあったのが、この会社の福島県郡山市の支店の教務の仕事。内定をもらい勤務地は2年ほど本社のある足利市で修行してきてくださいとの通知を頂いて、太田市出身の大学の後輩を道案内に一路足利へが最初でした。

 1986年11月10日に入社。翌年の3月から栄進ゼミナール足利北仲校で数学と社会の講師として勤務することになりました。ここで当時塾長だったのが、江面嘉彦先生。昨日、栄進がなくなることを報告したのですが、ここでも慰められました。江面先生は、板書がとてもきれいで、それをキチンと写して、あとで見返せば自分のつまずきはいっぺんで解消できるのではないかと思うぐらいそれはそれは素晴らしいものでした。(それが毎日でしたし、先生のノートも凄かった!)到底私にはマネの出来ないものでした。「先生の好きなようにやっていいよ。責任は俺がとるから。」親分肌の先生でした。本当の兄貴のような存在でいろいろな相談にも乗ってもらいました。もう一人忘れてはならないのが、江面先生のよき理解者でサポートしていた新井潔先生です。新井先生は、縁の下の力持ちでもっと早くに塾長先生となって活躍できたと思うのですが、新井先生の存在なくしてあの時代はなかったと思います。生徒さんの扱いが上手で、人を傷つけないようなニックネームをつけて、授業中も盛り上がっていました。誰からも慕われ、頼りになる先生でした。野球も上手で、打順で行くと私が3番で、新井先生が4番ということが多かったと思います。

 この2人の先生との出会いなくして、今の自分はなかったと振り返ってみて思います。田舎の母には先日帰省した時に、また、学校の先生になれなかったことをくどくどと言われましたが、2人の先生初め、嫁さんともこの会社で出会ったわけだし、母には申し訳ないが、この33年は私にとっての宝物です。(ただ終わり方が…ここだけが悔しいところでしょうか)