陣野Tの日記

日々思うこと

 前回の記事から約1か月空いてしまいましたが、この間、大変なことが妻沼校には起きてました。前回記事を書いた3日後、妻沼校で緊急のミーテイング。いつもの教務部長だけでなく今回は、妻沼校にはほとんど来校したことはない栄進ゼミナール社長まで同席。ただならぬ雰囲気を感じつつ開会。そこで宣告されたのが、「妻沼校の閉校」と私たちの解雇。他校の先生から、薄々情報は聞いていましたが、いざ言われるとショック以外の何物でもありませんでした。次に頭をよぎったのが、「なぜ、今?」コロナがかかわっているのは明白ですが、「かりにも教育という名の業界の端くれにいるのに学年の始まったばかりで、コロナ感染に耐えてこれからという時になんで?」いくつか疑問を投げかけましたが、結果は変わらず、最終宣告は6月11日(木)。

 7月25日(土)までで閉校。その後は私たち3人、バラバラの再スタートを切ることになりました。私たちを信頼して通塾してくれた生徒諸君、送り出して頂いた保護者の皆さま、本当に申し訳ありません。

 あと1か月、私の塾講師生活の集大成として、この妻沼の地で、いつも通りのテンションで頑張りぬいていきます。できる限り、普通にブログを今度は更新したいと思います。

 なんと2か月半ぶりの書き込みです。すっかりコロナ騒動に巻き込まれ大変な日々でした。皆さんはいかがでしたか。

 昨日、非常事態宣言が解除されました。本当に、見えない敵と戦うのは、大変でしたね。一時期、不眠症のような症状に悩まされ、58年の人生で始めて睡眠導入剤のお世話になりました。それでも、この妻沼校にきて、掃除・授業の準備をして、いつもより早く生徒さんたちを迎えると元気になりました。その時期に励ましの言葉をかけて頂いた保護者の方々も多く、本当に助かりました。コロナは人と人の関係を断つ側面もあり、本当に怖い病原体ですが、この時期に学んだことを糧に今後の塾展開に生かしていきたいと思います。

 妻沼地区も6月1日から分散登校だそうですが、感染に気を付けて遅れた勉強頑張っていきましょう!

 塾は、分散登校の間(~6/20)は、今の通塾スタイルで小中学生と勉強したいと思っていますので、よろしくお願い致します。この2か月半の間の主な出来事はおいおい書き込んでいこうと思います。

 報告が遅れましたが、今年もまた、公立高校受験者全員合格でした。皆さん本当におめでとうございました。本当に良かったですね。高橋先生、持田先生にもこの場を借りて感謝したいと思います。これで、7年連続と記録が伸びました。本当に今年の3年生諸君は最後までよく頑張り通したとおもいます。倍率の高い学校、チャレンジかなぁと思う学校にも果敢にチャレンジし勝ち取った栄冠。今後の3年間に幸多かれと思うばかりです。昨今の新型コロナの影響でなんか重~い空気が漂う中の快挙達成!発表の前夜は珍しく眠りが浅く1時間おきに時計を確認していたので、9日の夜は、ゆっくり寝させていただきました。

 今日は長くなりますが、3月11日に福島県出身の私が書かなければいけなことと言えば「2011年3月11日午後2時46分」の悪夢です。当日は、次男の高校入試発表日のため、会社を休ませて頂いていて、午前中に合格を確認して、その足でゲーム機を買いに行きましたが、数軒回ってもお目当てのゲーム機は買えず、最後に再度、トイザらスの寄ったら、ちょうど入荷したばかりのゲーム機に出くわし、あの時の次男坊の笑顔は今でも印象に残っています。それがお昼頃だったと思います。そして、合格の報告を福島の実家に電話で報告し、翌日帰省すると母に告げたのが午後1時過ぎ。その日は、当時大学生だった長男も足利に戻っていて、3人でくつろいでいた時に揺れました。長かったですね。強い揺れでしたね。あまりに揺れるので、台所の食器棚の戸を抑え、ガムテープで止めてから3人で外に逃げました。外の電線が音を立ててしなっていました。途轍もないことが起こったと確信しました。その時、次男坊が血相を変えて私に向って言いました。「父ちゃん、やべぇ。どうしよう!」悲壮感漂う表情で何事が起ったかと心配でした。長く、強い揺れが収まるや否や、次男坊は家の中にまっしぐら。彼が心配だったのは、午前中に手に入れたゲーム機を充電したままで外に出たため、テレビの下敷きになっているのではということだったのです。落ちた本やCDを片付けつつテレビをみると、津波の映像でした。衝撃的でしたね。その時、同時に起こっていた原発の事故については今回は触れませんが、「福島は何も悪いことをしていないのに」というのは、この後しばらく続いた母の口癖でした。

 くだらない話を長々とすみませんでした。

 ほぼ2か月、間を開けてすみませんでした。

前回書いたのが、1月22日の私立高校の受験日でした。今思えば、あの頃に、中国の様子をもっと察知していれば、こんなにマスクや消毒液、ペーパー類の不足に恐れなくても良かったのにと、後悔しています。

 塾の方は、いつもより生徒間の間隔をあけ、濃厚接触をしないように心がけ、手洗い・うがいの励行を職員間で確認して我々のできる限りの対策を講じて、きちっとした環境で、塾生の皆さんを迎え入れています。

 ただ、このようなご時世ですから、多少の不安はありますが、日々の健康管理・休日の過ごし方等自己管理の大切さを、改めて実感する良い機会となりました。ちなみに、今朝の検温は、35.6度でした。

 3月は皆で、しっかり耐えて、4月・5月は、いつものように過ごせると良いですね。皆で頑張りましょう!!!!!

 ブログの更新がなかなかできずすみません。

 今日22日は、大半の中3生は、最初で最後の私立高校入試です。群馬県や栃木県の私立高校の入試とは違うので、赴任当時は大変面喰いました。各学校に行き、不正行為などなく試験を受け、帰宅すれば……と心から願う一日です。

 そんな中、昨日は東西の各中学校で事前指導が行われたようですが、その内容を聞いて、チョットびっくりしたのは、生徒を少しでも不安から解消してあげるべく行うのがこの指導ではないかと私は思うのですが、片方の中学校はほぼ私がイメージしていたのと同じでしたが、もう一方の中学校は、生徒のことをどう考えているのか、と疑問を持ってしまう様な感じでした。

 自分の成功体験ばかりを言いたがる方が最近多く見受けますが、そんなに完璧な人ってそうはいないと思うので、自分が体験したり、見たり、聞いたりしたことを踏まえて、大切なことを伝えるというのも指導者の役割ではないでしょうか。子供たちのコミュニケーション不足を心配する声が多い昨今、それよりも私たち大人のコミュニケーション不足が学校だけでなく社会全体で心配です。

  約二か月半お休みしまして申し訳ありませんでした。この間に新年を迎え、遅まきながら明けましておめでとうございます。

 年末年始は、例年通り、福島に。次男が東京から来てくれて嫁と3人での帰省に、福島の両親にちょっぴり親孝行できたかな?

 年明けすぐに、足利に戻ろうとした時、今年最初の大事件発生。昼食の準備に立ち上がったおふくろが、貧血を起こし、前かがみによれよれとへたり込んでしまい、皆、唖然!過去によくあった光景でしたが、さすがに驚きました。(やはり、老々介護の疲れでしょうか?)幸い、ちょっと休んだらいつもの様子に戻ったので、そのまま足利に戻りましたが、5日の朝に電話があり、「やっと、元に戻った気がする」と本当に元気な声が聞こえ、ホッとした次第です。(何度か電話はしていたのですが、その時は「大丈夫だぁ」の一点張りだったのです)こんな息子でも心配かけたくないという親の気配りに思わず涙が出そうになりました。

 昨年は、ホント病院通いばかりしてたので、年賀状にはそればかり書いてましたが、なんか今年もイヤ~な予感がします。けど、頑張りますよ。

 皆さん、今年も、栄進ゼミナール妻沼校宜しくお願い致します。

 先週から、中3対象の進路面談がスタート。いよいよまとめの時期がやってきました。今年はずっと体のどこかしら医者にかかっていたので、注意して仕上げの時を塾生諸君と過ごしたいと思います。

 昨日のラグビー準決勝、南アとウェールズしびれましたね。先週1週間は、日本選手の健闘を称える企画が多く楽しませてもらいましたが、その一方で、試合当日の腹立たしい出来事が思い出されます。10月20日の夜はご存じのとおり、日本の準々決勝とジャイアンツの日本シリーズ第2戦がかぶっていたので、朝からソワソワしっぱなしの私。それを見ていた妻から、「今日の晩御飯はお弁当買ってきて観戦しながら食べよう」という提案。自分と同じ考えの人は多いだろうと思いながら弁当屋へ。案の定、結構混んではいましたが、会計を済ませて、30分でできますと言われ、いったん家へ戻ったのが午後6時25分。丁度のタイミングと思って、午後6時55分に弁当屋へ。すると、先程より若干車が多い。中に入ると、何とも殺伐とした雰囲気を感じました。電話予約の人、私のように再訪の人。ほとんどの人が「30分」の言葉を信じた人たちでした。この弁当屋、マニュアルなのか「30分」を以後も言い続けていたら、待ち人の中から「ウソつくな!」の一言。皆、一瞬凍りつきました。(それ以降、「しばらくお待ちください」に代わりました。)同じサービス業に携わる者としては、「お客さん第一でしょう」「自分の仕事量ぐらい、把握しておけよ」とかブツブツ独り言を言って番が来るのを待ってました。結局、帰ったのが7時30分。このせいで、日本もジャイアンツの負けたのだと今でも言い続ける私です。

 くだらないこと書き続けてすみませんでした。なんか、私的にスッキリしました!!!